Category / 長唄
福島県二本松市あたりに古くから伝わる「安達ヶ原伝説」は、京の都から流れついてきた女が阿武隈川のほとりに住みつき、旅人を家に泊めてはその生き肝を奪うという怖いお話です。さて、ススキの穂が一面に広がる安達ヶ原に、秋の月が冴えわたるある夜のこと。諸国をめぐって修行を重ねている僧の阿闍梨祐慶と供が、行き暮れて女の家までたどり着き一夜の宿を頼みます。鬼女と恐れられるようになってもまだ人の心。僧と話すうちに、過ぎた歳月を悔やみ佛の縁にすがる思いが兆すのでした。僧たちをもてなすためにタキギ拾いに出かける女は、奥の一間を決して見てはならないときつく言いおいたのでしたが……。
「安達ヶ原伝説」を題材に、能の『安達ヶ原』(『黒塚』)があり、日本舞踊にも木村富子作、四世杵屋佐吉作曲、二代花柳壽輔振付による、いわゆる〈猿翁十種〉の『黒塚』があります。
二世花柳壽楽が振付したこの素踊りの『安達ヶ原』は、明治三年(一八七〇)に二世杵屋勝三郎作曲になるもので、詞章は多く能によっています。前シテの年老いた賤の女から一転して、後シテの怒りに満ちた鬼女へと、ほとんどゆるみなく進行し、シテとワキとのあいだに通う張りつめた緊張感。見る者の想像力をかき立てる素踊りならではの味わいと相まって、ドラマ性もゆたかで見所の多い作品です。
Category / 長唄
昭和三十五年(一九六〇)、まだ錦之輔を名乗っていた祖父は、当時としては画期的な五日間連続の「花柳錦之輔舞踊公演」を開催しました。
『釣狐』は、その折に満を持して発表された作品のひとつ。芸術祭奨励賞を受けるなど世上の評価も高く、祖父にとって記念すべき作品になりました。
『釣狐』は狂言に題材を求めた作品。振付にあたって「原曲(狂言)のねらいを生かして、本行のキマリによって踊るように心がけた」そうです。そのために、九世三宅藤九郎先生のもとに通ったり、作詞の松本亀松先生や作詞の十四世杵屋六左衛門先生などと、入念な打ち合わせを繰り返し重ねたとも聞いています。
Category / 長唄
『烏小町』は昭和三十八年(一九六三)に初演され、その後再演を重ねました。この作品について、祖父は次のように述べています。
「作者の御室晋は、照明家兼演出家の遠山静雄先生のペンネームで、俳優学校時代からの恩師。先生はこの作品のテーマと人物設定について『使い古された材料だが、深草少将を恋に悩む純情薄弱な男でなく、恋愛経験から虚無思想に転じ自爆して行く人間に置き換えてみた。そして小町こそ驕りの心からめざめて人間らしさを取り戻そうとするもどうにもならず、さりとて身を棄てる決心もなく、ただ老いて無為の形骸をさらす哀れな姿を心に描いてみた』と書かれています。また杵屋正邦氏が『この作品の音楽の構成は奇妙なものである。発声の異なる唄い手による重唱や、平均律的構造を持つ洋楽の木管と純正調的箏、十_弦の合奏、それら全体の演奏におけるさらに大きな問題など、難しい課題が数多く包蔵されている』と述べられていますように、和・洋の異なる音楽が各所で生かされ、予想以上の効果を上げてくれました。そして、出だしと終幕の謡に観世寿夫師の至芸を得て、私にとってはある意味での贅沢な作品です」。
Category / 長唄
平安中期、反乱を起こした東北の安倍一族に対し、朝廷は源頼義に追討を命じます。その最中、傷ついた鷺を助ける宗任に、頼義は尊敬の念と人の情を感じ、しばし戦闘を中止させるのでした。ほどなく頼義は安倍一族を鎮圧、宗任を捕らえます。この作品が描くのはその三年後。鎮守府将軍になった頼義は、投獄されていた宗任を呼び三年前の戦場での話をし、奥州平和のため治世に協力することを頼みます。宗任は快諾し、酒を酌み交わしますが、夜が明け、砦の向こうに広がる奥州の山々を目にしたと時、逆賊となってでも故郷の山河に殉じたいと願い、頼義に刃を向けます。頼義は取り乱すこともなく、宗任の心根を察し弓矢を与えたうえで死所を得させるのでした。
昭和六十年(一九八五)、初演。敵味方として戦いながらも、互いの武勇を認め、逆賊の汚名を着てでも故郷に殉じたいと願う宗任に、頼義もまたその心情を察して死に場所を与える。ふたりの間の緊迫したドラマをシンプルな素踊りで描いた祖父の会心の作品です。
Category / 一中節
『廓の寿』は文化元年(一八〇四)に、初代の都一中が江戸へ下った折に作られたということですから、今から二百年ほど前の作品になります。明暦頃(一六〇〇年代後半)に、大火によって日本堤に移された「新吉原」の風俗が華麗な詞章で描かれています。しかし「今日からすると難解な通言葉が多くて、意味を知るのに骨が折れましたが、これも楽しみのうちでございました」と、振り付けた祖父のことばにあります。粋、そして意地と張りを競った吉原の一端を描ければと思っています。
Category / 長唄
『二人椀久』は、近年最も人気の高い演目の一つであり、狂乱の果てに眠ってしまった椀久が、夢に現れた遊女松山とともに昔をしのんで恋模様を演じるという構成は、人間の深層心理に根差し、現代感覚に満ちている作品です。
戦後、初代尾上菊乃丞の振付で人気曲となった『二人椀久』を父が新しく振り付けたのは1985年。父の『二人椀久』は、小道具をなるべく使わなかったり、紗を使った打掛の誓い方に新味を出したり、松山の出に舞台奥のすっぽんを使ったりと、視覚的な効果や演劇的な構成を重視した振付が多く、そこに新しさがあるような気がします。