夢殿は七三九年に建てられた法隆寺東院の金堂。国宝の救世観音がおわします八角円堂の優美な建物で、聖徳太子の夢の中に金色の仏陀があらわれたことから夢殿と名づけられたとか。荘重華麗な作詞と作曲が、秋の日の夕暮れ刻から夜にかけて、深沈とたたずむ夢殿の情景をうつくしく描いています。
記録によれば、昭和六年(一九三一)の第十三回「花柳舞踊研究会」で、当流二代家元振付による『夢殿』が初演され、そのときは唐子すがたの少女三人による踊りだったとあります。さらに昭和二十五年(一九五〇)、わたしにとって曾祖父にあたる「錦城斎典山追善舞踊会」のために、二代家元が想も新たに一人たちの素踊りとして振付されました。
ただその時の振りは残っていませんでしたが、この度ふしぎなご縁で半世紀前の振付がみつかり、また四世家元に補綴の労をとっていただいた、男性の素踊りとして『夢殿』を踊ることができることになりました。